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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2005年12月3日

「壊れる人々」

尊敬する天野祐吉さんとご一緒した時のこと。打ち上げの席で、私の前に座られた天野さんがポツリと。「こんな世の中になっちゃって、ボクはもうホントにいやになっちゃったよ」

つぶやきにも聞こえるその言葉に、私はうろたえた。最後の砦を守る人がいなくなってしまう。天野さんがそんなこといったらダメです、私もがんばりますから、天野さんもがんばってください、青くさい青年が援護射撃をするように、思わずいいつのったのだった。

でも確かにこの世の中は「いやになっちゃう」世の中になっている。地震が来れば必ず壊れるマンションを作って売っていた人たちを見ても、もうこの世の中は相当にひどいものになっていることがわかった。

しかし不思議だ。わざわざまずいラーメンを作って客に出したいと思うラーメン屋があるだろうか。つまらない歌を聴いてもらおうと唄う歌手がいるだろうか。すぐに崩れる家を建てようと釘を打つ大工さんがいるだろうか。

人は良い仕事をして喜びたいと思うのである、人はより良く生きようと思うものである、それが人が人たる所以である、そんなことはもう常識ではないらしい。「矜持」なんてものはすでに死滅した言葉であるらしい。

先だって見た「平成職人の挑戦」というドキュメンタリーの中で、山車の飾り職人がいっていた。千人に一人、わかる人がいる、その人のために手を抜かないのだ。モノヅクリの喜びに彼の目はキラキラと輝いていた。手を抜かない仕事は、手を抜かない自身の人生のため。いいかえれば人が人としてあるため。私も思わず背筋を伸ばした。

インタビューを受ける建築士の空洞のような目を見て、ふとあの「宮崎勤」を思いだした。この人はもう壊れてしまったのだなあと思った。壊れるマンションを作り続けるうち自分の中が壊れてしまったのだなあと思った。

2005年12月17日

「イエローカード」

子供の頃、ボール蹴りとしか思っていなかったサッカーが、野球をしのぐ人気スポーツになって登場した時、一番興味を覚えたのが「イエローカード」だった。「警告」という意味を持つこのカードを知ってから、いたる所でコイツに貼ってやりたいという衝動にかられるようになった。

休日の夕方、それでなくとも狭く作られた地下鉄の車両に大きな男が乗ってきた。ドスンと私の向かいの席に座ると、やにわに持参したスーパーの袋に手を突っこみ、鶏のから揚げを取り出した。ボソボソと二口で食べ終えるとまた取り出す。またたく間に一パックがカラになった。透けて見えるビニール袋の底にはコロッケが横たわっている。

カラアゲ男はミネラルウォーターでひと息つき、今度は別の袋に手を突っこんだ。出てきたのはゴマ団子らしい。一串食べ終えるごとに水を飲み、そうして三本をアッという間に平らげた。

ベタベタした指先を持て余すようにポリポリ体をかく。これらすべてを無表情のまま淡々と行っていたカラアゲゴマダンゴ男が突然笑った。声なくニンマリと。

その視線の先には、真新しい箱を抱えた男の子二人の、懸命に説明書を読む姿が。フンフン、そんなもん買ったの、そんなのチョロいよ、といわんばかりの屈託のない笑いは、30代半ばの男を巨大な赤ん坊に見せた。赤ん坊はどこでも泣く、どこでも寝る、どこでも食べる、赤ん坊はそのまんま、外の世界など、ない。

こんなやつばかりだ。すっかり定着した化粧オンナも、おじゃまシャガミ族も。国民一人一人にイエローカードを配り、不快な時にペタンと貼るなんて、こりゃいいアイデアだと思ったが、いざ帰宅した時、自分の背中に山のように重なったカードを想像するとやっぱりこわい。