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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2004年12月3日

「青春の長い旅」

「マスコミ」という文字にだまされたか、送られてきた大学時代のサークル「マスコミ研究会」のハガキに、こういうもんには顔出しといたほうがいいと、事務所の社長がキッパリといった。

出席してみると、はたしてそこには知らない顔ばかり。「宴会要員」として籍を置きマスコミの研究などミジンもしていなかった者の居場所などあるはずもなかった。受付で渡された漢字五文字の名札さえ、まるでヒトゴトのようなありさまでどうにも心細い。そんな訳でやや遅れて会場に入ってきたKさんを見つけた時には心底ホッとした。Kさんは当時サークル一番のハンサムで、まっ白いジャケットを手にさっそうと歩く姿には「キャンパス」という文字が浮かび、バンカラでならすこの大学とは不似合いな格好良さだった。案の定その後、アイドルだった女性と結婚し、子供も3人いると聞いてはいたが、実際会うのはおおよそ30年ぶり。貫禄こそついてはいるがやっぱり格好良い。

そのKさんの笑顔のまわりに、あの頃小さな部室でゴロゴロたむろしていた人たちの顔が重なってくる。ハイライトやロンピーの煙の中、酒に酔い、議論をし、「ただあなたの優しさがこわかった」という歌の文句に「女にそういわれたら、どうすりゃいいっていうんだ」と憤慨し、みんな自分がナニモノかであると思っていた。そして自分が結局ナニモノでもないとわかるまで、私はそれから20年以上もかかったのだ。

「あなた、どっちかっていうと番頭さんね」。小さな会社の社長をやっているという同じテーブルの人の名札を見ると3年も後輩。先輩の暴言にニコニコしている。この人もその昔はポックリサンダルに長髪で「ガロ」やっていたんだろうか。紺地の前掛けが似合いそうな小太りのカラダを見ながら、人それぞれの「ナニモノか」への旅の長さを思った。

2004年12月17日

「魂の言葉と音楽」

観ているうちに、何度も何度も頷いている自分に気づいた。これじゃ、テレビの公開番組に来ているオバサンとおんなじだと思いながら、またも頷いているのだった。「林英哲」という有名な太鼓奏者のドキュメンタリー映画「朋あり。」を近くのミニシアターに見に出かけた。冬にしては生暖かい夕暮れだ。そんな生暖かさも手と腕がスクリーンに大映しされた瞬間、冷たい風が吹くように消え、思わず背筋を伸ばしていた。

「林英哲」という人がどうやら孤高の音楽家であるらしいとは知っていた。太鼓という人間の鼓動に近い楽器を使って様々なコラボレーションを続け、国内外で高い評価を受けていることも知っていた。ただまだ見たことがなかった。聴きにいったことがなかった。それなのに映画を先に見てしまうなんて、何だかこれじゃ本末転倒、全く失礼な話だなあと思いながら見ていくうち、「英哲」って本当によくした名前だなあ、こんなに名は体を表した名前ってめったにないなあ、それに体だって顔だって「英哲」そのものだもんなあ、そしてその「英哲」さんの口から出る言葉たちにホントにそうだホントにそうだと、いちいち頷いているのだった。

何をどういっていたのか、ようくは思い出せないのに、確かにその言葉たちは同じ音楽を志す者にとって、いや「いのち」を見失っている今という時代を生きる者にとって最高にモットモな言葉たちなのだった。何種類ものバチをきちんと揃え、太鼓の皮にじっと手をあて目をつぶる姿は、神に捧げる芸能から音楽は始まったのだと再確認させられる。

聞くところによると、「英哲」さんはお酒もほとんど飲まず、そういえば映画の中でもミネラルウォーターで乾杯していたが、山の中を走り、自らを律し、太鼓に向かう、ああかくあるべしと深く反省したものの、映画館を出て向かったのは知人宅。この日揚がったフグを食べさせてくれるというのだ。フグの白子酒が悪魔の微笑みのように脳裏に浮かんだ。