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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2007年1月6日

「スケジュール帳」

新年早々のこのコラムを、実は年の瀬に書いているわけで、落ちついた新年松の内に思いをはせながら、バタバタとせわしない師走に身を置いているのも不思議な気分だ。

そういえば、新しい「スケジュール帳」を買ったのも、ごく最近。遅かった。

ここ10年くらい、小ぶりのそれを「日記帳」がわりにし、左ページに天気と、その日食べたもの。右ページに、その日のできごとを3行ぐらい、とごくごく簡単な記録をつけてきた。

何の役に立つかといえば、ある日突然、アリバイなど聞かれたときあわてずにすむから、というのは冗談にしても、食べたものを記録しておけば、体調不良や、太ったりやせたりの原因を探る手がかりになる。

それより以前、精神不安定になると、極端に食べたり食べなかったりと、メチャクチャな食生活をしていた私には、これがとても救いになった。

食べものに逃げ込む自分を客観視することで、心が落ちつき、それ以来、自暴自棄的食生活に戻ったことはない。

これと同じ、3行程度の日記もどきも、やはり精神安定の役に立つ。悔しいこと、悲しいこと、うれしいことが「書く」という作業で、これまた客観視できる。日常のデコボコを人生という長い目で見られるようになる。

すべてのことは、良いことも悪いことも、ずっと続くものではなく、でも心持ちひとつでもしかしたら、状況は変わるのかもしれない。生きやすくなるのかもしれない。そんなことが少しずつわかってきた。

混雑する12月もおしせまったデパートの文具売場。10月のスケジュールから書き込めるタイプのものが増えているのに驚く。4月からのが欲しいという声も聞こえる。時代はどんどんどんどん前倒しになっているらしい。1年の区切りも人によってこれだけ違うのだ。「長い目」を持つにこしたことはない。

2007年1月20日

「降ってわいたパリ行き」

バリには行っても、パリには行ったことがない、というのを半ば自慢にしていた私が、
ついにフランスはパリに行くことになった。

新年早々、4日の出発。突然決まった話でもあり、今年の正月は生きた心地がしなかった。なんせ、右も左もフランス語も(大学の時かじっただけで)、とにかくすべてがわからない。そのパリにたった1人で行くことを思うと、テレビに映るのんびりとした正月風景を見ては1人キリキリとしていた。

パリ行きを、降ってわいた災難などといってはバチがあたる。けれど、気の合う人間とワイワイガヤガヤ期待に胸弾ませ発つ旅とは程遠い、仕事がらみの一人旅だ。

パスポートもとうに期限切れで、あわてて暮れも押しつまった旅券課にかけこんだ。
年内最終業務日、新しいパスポートをやっと手にした途端ホッと安心し、そのまま同じフロアにある「献血ルーム」を訪ね、初めて「成分献血」なるものをした。

旅券課の隣、旗を持った呼び込みの男性が「皆さんの幸せを、今困って苦しんでいる人に少し分けてあげてください」といっていたからだ。うまい手だ。

Bの形をしたストラップを、外国仕様に変えたケータイ電話にくくりつけ、パリのにわか勉強を始めた。暇があるとお金が尽きるまでパリを放浪するという友人のレクチャーを受け、すっかり耳年増状態で出かけたパリ。

着いた空港で迷い、モンマルトルでデジカメを落とし、ポンヌフで雨にぬれ、アズナヴールさんのインタビューついでに、本家の前で「コメディアン」の一節を唄い、ビストロで昼酒に酔い、ベルナールさんをベルちゃんと呼び、言葉が通じないとシャンソンを日本語で唄ってごまかし、ジェットコースターのような4日間だった。

行かないよりは行った方がいい。しないよりはした方がいい。パリも献血も、くせになりそうだ。