2009年6月3日
「五月のマスク」
ひどい五月だった。巷にはマスク姿の人が溢れ、関西からライブを聴きに来てくれた人は肩身が狭そうに客席に座り、私の住む街の薬局からもマスクがアッという間に消えた。
テポドンの時と同じように、ニュースキャスターたちは「落ち着いて、落ち着いて」と大騒ぎをし、国民をナメるんじゃねえぞと、そんなテレビ画面に毒づく私がいた。
本当にひどい五月だった。ナニカがあるとそれまで隠されて見えなかったものが、あぶり出されるように見えてくる。「隣組」があった頃と何も変わっていないこの国の有様が見えてくる。ジシュクとかチューショーとか。病気にかかることより、かかったことで受けるセイサイが怖い。そんな感じだった。写真で見た、荷車に乗せられたハンセン病の人たちの姿まで思い出した。
ところで私はマスク人間である。歌い手としてはノドが弱いので、例年十月あたりから五月あたりまでマスクを手離すことはない。マスクをしていれば、とりあえず乾燥は防げるし、冬本番にはコイツのだけはもらいたくないという他人の風邪からも身を守れる。そんな私がマスクをはずしたくなった。まったくひどい五月だった。
生まれて始めてマスクをしたに違いないメキシコの人たち。一応の終息宣言が出たせいでもなかろうが、青空の下、飲んだり食べたり。一番最初の感染者だという女性が笑顔でインタビューに答える。
それにしてもなぜガイジンはマスクをつけないのか。そんなの簡単。鼻が高いから。あの激しい高低差にマスクは徹底的に向いていない。スキマがあってどうにもならない。ペチャンコ鼻の私がいうのだから確かだ。