2010年3月7日
「かなわない」
ふと、ベランダから前の家の屋根を見ると、ナニかがちょこんといる。一見、沖縄のシーサーのようで、なんでここにシーサーがと思う間もなく「猫だ!」
まだまだ頼りない陽射しの中、かなり斜めで決して居心地も良さそうではない高い屋根の先っぽに、何だって座っているのか。落ち着き払ったその縞猫の、あたりをヘイゲイするでもなく、ただじっと真正面を見据えた姿に「哲学的」という言葉が浮かぶ。天と地の間に猫一匹。
やっぱりコイツらには、かなわないなあという気がしてくる。
ノラ猫というのは、寿命が二年くらいらしい。スズメにいたっては一年と聞く。共に冬を越すのが大変なのだ。うまく「冬越し」の術を学んだものは長生きできるというのだから、まさにサバイバルだ。しかも猫もスズメも生きた痕跡を残さない。死んだスズメなど見たことがない。
どこからやってきてどこへ還るのか、大きな大きな不思議な生命の河の住人たち。ああ、かなわないなあ、と思う。ギリギリで生きとし生けるものたちには、やっぱりかなわない。
ギリギリといえば、先だって終わったオリンピック。アスリートたちのギリギリの闘いに、手に汗、目に涙と、まったくもって忙しかった。
特に氷上の少女たちには、ギリギリがそれこそギリギリと音をたてて覆いかぶさっていくように生きた心地がしなかった。それでも、まだまだあどけない少女たちの口からは、静かで「哲学的」な香りの言葉が出てくる。
猫にもスズメにも少女にも、かなわない。コウベを垂れるオバサンでした。