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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2006年2月4日

「マスクは風邪のためならず」

風邪をひく人が増えている。何万人も死んでしまうかもしれないというインフルエンザの予告まであったものだから戦々恐々で、どこに行くにもマスクが離せない。

コイツの風邪だけはうつりたくない、と思う人間の、その風邪をもらってしまった時は悲劇だ。友達を通り越して親戚になってしまったようなイヤな気持ちになる。

知り合いならまだしも、電車やレストランなどで近くに居合わせた傍若無人なヤツ。たとえば「ヘックシャーン」と大向こうに向かって叫ばんばかりにクシャミとシブキを連発するオジサンや、この寒空に何だってそんな格好でという、胸の大きく開いたTシャツとミニスカートでセキをしながら煙草を吸い続ける女の子や。コイツらと親戚にだけはなりたくないとあわてて、またマスクを深く装着する。

マスクは便利だ。最近出回っているプリーツ式の使い捨てタイプは、大きいものだと顔半分も隠れてしまうので、スッピンでも平気で歩けるし、ちょっとした犯罪者や匿名の人の狡猾な気分を味わうことができる。

かといって別に悪さをするでもなく、昨日あたりは肩から提げた大きなカバンを私にぶつけたまま知らん顔で地下鉄通路に立つ男の、そのパックリ開いたポケットから覗くケータイを引っこ抜いてやろうかとニンマリするくらいのことだ。

そんな時は楽しい。ホラホラ君の平和は他人の善意の上に成り立っているのだよ、と怪人20面相になってしまっている。

私のように眼の悪い人間の場合、マスクはけっこう難しい。すぐに眼鏡が曇ってしまう。潜む快感どころか前が見えない。鼻の低い私でさえこうなのだから鼻の高い外国人ならさぞ大変だろうと思うが、マスクの習慣が彼らにはないらしい。そういえばちなみに家の父親もマスクをしない。彼の場合は、朝食べた納豆とネギの臭いが充満してヘキエキするせいなのだが。

2006年2月25日

「人間という奇跡」

子供の頃、他人からよくされた質問に「お父さんとお母さんとどっちが好き?」というのがあった。もちろん「どっちも好き」と答えた。父にも母にも、それぞれ好きな所嫌いな所はあったが、それより、この「比較」はしてはならぬもののように思えた。

反対に、男の子と女の子とどっちが欲しかったの、と親に尋ねることもあった。「クミちゃんがお腹にいる時は、みんなが絶対男の子だっていうし、近所のベテランの産婆さんも、男の子に間違いないって太鼓判押してたんだよ」

でも産まれたのは女の子の私で、どっちにしてもこの私は二人にとってかけがえのない大切な子供なのだというのだった。

先月の末、レコード会社の担当ディレクターI氏に赤ちゃんが生まれた。出産の数ヶ月前から入退院をくり返した末に授かった赤ちゃんは、美しい名前を用意された女の子だった。ある日、I氏がホントは男の子が欲しかったんですよという。そりゃあ、一緒にキャッチボールなどしたかったかもしれないが、それをいっちゃあおしまいよ、と押しとどめた。

男と女はある日めぐり逢い、愛し合って、その間に一つの生命が宿る。この広い地球の上で、この長い歴史の中で、同じ時代に出会い「想い」を分かちあう。これは「奇跡」だ。いや今こうしてここに自分があることからして「奇跡」に近い。どこかの政治家がいうように、神代の昔からの日本固有の血筋が「奇跡」なのではない。人間そのものが「奇跡」なのだ。

ディレクターのI氏はその後、2、3時間おきに夜泣きをする赤ちゃんのおかげで寝不足ですといいながら、その後ろ姿は生命を引き受けた責任で一層たくましい。

親になったことのない私は、その姿に自分の親を重ね合わせた。子を持って知る親の恩かあと、つぶやいてみた。