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クミコ - ココロの扉をたたくウタ

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2007年3月3日

「弾みの芸」

あれはいつのことだったか。友人の作詞家、作曲家、そしてプロデューサーの4人で飲み会をしていたときのこと。誰かがいった。「今度、藤山直美さんが朝の連ドラで主演するらしい」

それだけで藤山直美ファンの私はいきり立った。いきり立ってぜひとも主題歌を唄いたいと思った。強引な思いつきではある。この強引な思いつきに全員がいきり立って、ついにこの集まりを「芋たこ会」と命名したのだった。

作詞家と作曲家と歌手とプロデューサー、幸というか不幸というか、まあノリの良さも手伝って「芋たこ会」の「その気」はとどまるところを知らない。

大阪だからブギがいいよ、「芋たこブギ」なんてどうかな。笠置シヅ子のファンでもある私は、自分が地団駄を踏むように唄う姿まで想像しワクワクした。

結果は、皆様ご存じの通り、ブギとは似ても似つかぬ爽やかな歌声。まあ、いい夢を見させてもらった、ということで、相変わらず「芋たこ会」のまま飲み会は続いている。

藤山直美さんを見ていると「弾み」という言葉がいつも浮かぶ。何でもこいという男気のような包容力の中に、一つ一つの感情のヒダを丁寧に見せてくれる。豪放で繊細、伸縮自在なその芸は見るものを幸せにしてくれる。ちょっと落ち込んでいても、藤山さんを見ると元気になる。人間てイイジャンと思う。「弾み」のある芸は人を弾ませる。

そして藤山さんに弾ませてもらう度に、私もそういう歌い手になりたいと、いつも思う。

あの歌もこの歌も、悲しい歌も明るい歌も、クミコさんの歌を聴くと人間てイイジャンと思えるんだよ、といわれる歌い手になりたいと思う。

朝の連ドラ女優になりたくて入った学生劇団で、唄うことの喜びを知り歌手になった私の、これが究極の「夢」である。

2007年3月17日

「ペコちゃんポコちゃん」

ここのところ、ご無沙汰気味のペコちゃん人形だが、その昔から「ペコちゃんポコちゃん」の2人は子供のアイドルだった。

ずいぶん前、女の子だからペコちゃん、男の子だからポコちゃんと、誰かに神妙な顔つきで説明されナルホドと納得してから、どっちがどっちだったか迷うことはなくなった。

男と女の「違い」が、こんなキャラクター人形の名前ひとつで明らかになるというのがおかしいといえばおかしい。

そのペコちゃんサイドの私の母親が、女医さんのいる病院に連れていってくれという。

役目をすでに終えた臓器は、ただそこにあるというだけで、地球の引力により、時としてひどく面倒なことになる。母親が女という性をもつものだと、子供としてはあまり思いたくないが、よくよく考えれば、その臓器こそが、私自身を育んでくれた所、いいかえれば元の場所、元の部屋、母親はそこの大家だったといえないこともない。

なんとも大層お世話になったことでもあるので無下になどできるものではない。

「人生の縮図よね」。見渡して母親がつぶやく。なるほど、病院の待合室には10代から70代の私の母親までのペコちゃんたちが、ぎっしり座っている。

若いポコちゃんが若いペコちゃんに、少し恥ずかし気に寄り添っていたりするが、年老いたポコちゃんを見ることは、まずない。おそらく自分のことで手一杯になるせいだろう。
 「101回目のプロポーズじゃなくて?」。若いポコちゃんの小さな声がする。待合室の絵本を手にした若いペコちゃんが答える。「違うの、100万回生きたネコ」。

沢山の子猫を産んで、先に死んだメス猫を前に、溶けるほど泣き叫ぶオス猫の顔の絵を思いだした。

その絵本、2人で読むといいね。ネコが100万回生きちゃうの、とまだ不思議そうな声をききながら、心底思った。

2007年3月31日

「趣味はナンプレ」

取材などで「趣味は」と聞かれるたび、恥ずかしい。恥ずかしいほど趣味が、ない。

これまでは「散歩」などでお茶をにごしていたが、先だっては「ナンプレ」と口走ってしまった。

「ナンプレ」。「数独」ともいう数字パズルだが、これを趣味といえるかどうかは別にして、けっこう面白い。ハマる。アッという間に1時間くらいたっている。ツブしていい時間などあるはずもないが、なあんにも他のことを考えずに過ごせる時間というのも貴重だ。おまけにホントかウソか「脳を鍛える」効果もあると書いてある。ますますうれしい。

この「ナンプレ」をクロスワードパズル好きの母親は、難しくわからないという。これこれこうやって、と説明しても、はなからヒイテル人間にとっては何の意味もない。耳に入らない。

母親の脳は大丈夫だろうか、と心中不安になるが、今度はその母親が父親のことを、テレビ見ててもパパは全然わかっちゃいない、という。回想シーンが出てくると、もういけない。時間の前後関係、はたまた登場人物の顔までゴッチャになって、そんなことをイチイチ説明してたらヤンなっちゃう、と母親は怒るのである。

母親も、父親も、心配になる。

ところが、その子供の私も、近頃ではヤヤコシイ映画がおっくうになってきた。はっきりせんか、はっきり。理不尽な怒りまでこみあげてくる。

こうなってはもう、出てきた瞬間誰が悪人かわかる時代劇しかないんだろうかと、心細くなる。「ナンプレ」やってもアタマ良くなってないじゃん、と思う。

そんなグチを聞いていた友人がいう。辛抱なくなってきてんのよね、年とって。家の夫なんてフランス映画もう見ないもん。

せっせと「ナンプレ」して、フランス映画見よう。